書籍から学ぶ人生のヒント
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「不快な刺激」をプラスに転換する おはようございます。 今週も、齋藤孝さんの 、「天才になる瞬間」 を特集いたします。 「天才になる瞬間」 P55から引用 「不愉快な刺激」→「怒り」→「仕事や作品」 というように プラスに変換できてこそ 天才の領域に突き抜けることが可能になる 引用ここまで { 解釈文 } 齋藤孝さんの言葉をまとめれば・・・ 「これはできないだろう」・「きみにはムリだ」 といった、低い評価を下された経験は 誰にでも1度や2度はあるのではないでしょうか。 しかし、不愉快な刺激をエネルギーに変えてしまえる人間であれば 天才の領域にブレイクスルーできるのかもしれません。 そこで紹介したいのが、皆さんも良くご存知の“手塚治虫”。 作品というよりも、1つの文化を創出した“マンガの神様”は いかにしてブレイクスルーを果たしたのでしょうか? 手塚治虫は自著「ぼくのマンガ人生」でこう語っています。 「8月15日の大阪の町を見て あと数10年は生きられるという実感がわいてきたのです。 ほんとうにうれしかった。 ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。 それがこの40年間、ぼくのマンガを書く支えになっています。 つまり、生きていたという感慨 生命のありがたさというようなものが 意識しなくても自然に出てしまうのです。 そのくらいショックだったわけです」 戦争を体験した世代の多くは この不快な刺激をエネルギーに変えて 日本の経済や産業の発展に尽くしてきました。 手塚治虫もまた、戦争をくぐり抜けたことで 明確な方向性を見つけ出したのです。 「不愉快な刺激」→「怒り」→「仕事や作品」というように プラスに変換できてこそ、天才の領域に突き抜けることが 可能になるのです。 そしてデビューしてからも、手塚に新たな不愉快さが襲います。 それは、「手塚の時代は終わった」と、ささやかれた時期でした。 その頃は、「あしたのジョー」などのスポ根マンガの大ブレイクや 一方では「ハレンチ学園」といったエロティックなマンガも 少年誌に登場するようになっていました。 手塚自身、このような作品を作ることもできるという 自負はあったでしょうが 「手塚は手塚らしい作品を作るべきだ」というのが 当時の雑誌編集者や、手塚ファンの子供達の要求でもあったのです。 作ろうと思えばいくらでも作れるという自負と それが許されないか状況というのは これまた、「不愉快な刺激」であったに違いありません。 しかし、その「不愉快な刺激」を天才は見事に作品で変換して 読者に提示してみせました。 それが“手塚マンガの復活”と絶賛された傑作 「ブラック・ジャック」だったわけです。 スポ根マンガのように、1本のストーリーで 引っ張ってく作品が多い中で 「ブラック・ジャック」は1話完結。 しかも、ワンパターンではなく 1話1話に込められたバックグラウンドや メッセージのレベルが極めて高い。 あの作品を手塚治虫は毎週1本のペースで描いていたわけですから 奇跡的にも思えてきます。 というような事が書かれていました。 世の中が自分の思うように何でも変えていけたら これほど便利な事はありません。 なぜそう思うのかというと 変化することが、大変だという事がわかっているから 周りが変わって欲しいと 自分本位に考えてしまうのです。 何も外的な圧力が掛からない時は このように考える事でも ひとたび、「不快」という圧力が掛かったときに 人はストレスを感じ、嫌な気持ちになったとき 本人に、その事について 「情熱」と、「誇り」が備わっていた場合 「なめられっぱなしは趣味じゃない」とばかりに その怒りのエネルギーを、作品の質として昇華する事があります。 これが「不快」が、「創作」に変わる瞬間であり この「不快」さから、脱出するために 自己を高めて、乗り越える瞬間でもあります。 [本日のポイント] 不快さが 飛躍の原動力にもなる 本日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。 今日も皆様にとって 素敵な一日になりますように。
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